シンガーソングライター|プロフェッショナル夢名鑑

「聴く人が“明日も頑張ろう”と思えるような、
そんな歌を歌い続けたい」

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Metisさんはどんな子ども時代を過ごされたのですか?

Metis 幼稚園の頃から音楽が好きで、マイケル・ジャクソンのビデオを家でよく見ていました。母子家庭で育ったので、家でひとりでいる時間が多かったんですよ。歌手になりたいと思ったきっかけは、小学生の頃にマライア・キャリーの曲を聴いたとき。ステレオから流れてくる彼女の声が力強くてかっこよくて、だから将来は彼女のような歌手になりたい、と思っていました。でも実は人見知りで恥ずかしがりやで、人前で何かをするなんてできない子どもだったんです。そんな私が本気で歌手を目指そうと思えたのは、今は亡き母がずっと応援してくれたから。それがすごく励みになっていました。

デビューまでの道のりはやはり大変でしたか?

Metis そうですね。高校の頃から自分で歌を吹き込んだMDをレコード会社に月に30本から40本は送っていました。高校卒業と同時に上京してからも、オーディションを受けたりデモテープを送り続ける日々でしたね。あるとき今の所属事務所の社長から連絡があって、スタジオに来て歌ってみないかと言われたんです。それからは徐々にメジャーに向けてアーティストらしい活動ができるようになりました。

そして19歳でデビューされるわけですが、そのとき特に印象深かったことはありますか?

Metis デビューして初めて渋谷のライブハウスでワンマンライブを開くことができ、そのとき母や事務所のスタッフみんなを招待したんです。今までお世話になった人たち、特に母にステージに立つ自分を見せることができたことが本当に嬉しかった。ステージは私にとって、自分を開放させてくれる特別な場所です。夢は叶えられるんだ、頑張っていれば神様は見ていてくれるんだ、と心から感じました。と同時に、自分もみんなの為にもっともっとがんばらなきゃ、と思いましたね。

Metisさんの曲はお母さんへの感謝の気持ちや、命の尊さを訴える歌詞がとても印象的ですね。

Metis 私の歌のルーツは色々あります。広島市で育ったこともありますし、敬愛するレゲエミュージシャンのボブ・マーリーの影響もあります。でも一番大きいのは母への感謝の気持ちですね。私の「母賛歌」という曲は、大好きな母がガンで入院したときに作りました。母への愛する気持ちや感謝の気持ちを綴ったことで、自分の生き方を見つめ直すきっかけにもなったと思います。ですから、歌を聴いた人が明日につなげるような、生きる力になれるような、そんな“命の曲”を作り続けたいと思っています。

Metisさんは3月に郡山市で行われる「福魂祭」に出演されますが、復興支援を通じて感じたこと、伝えたいことはありますか?

Metis 福島には震災をきっかけにイベントやコンサートに呼んでもらえるようになり、たくさんの方と出会えるきっかけになりました。福島とは震災がきっかけでできた縁です。昨年は「福魂祭」に出演させていただき、今年も参加しますので、これからも福島で頑張っているたくさんの人々に、歌を通じて力になっていければいいなと思っています。

昨年11月に郡山で開催されたイベントにて。力強い歌声とメッセージに圧倒されました。

パワフルなステージと対照的に、かわいらしい笑顔でインタビューに応じるMetisさん。

Metisさんが参加する「福魂祭」は2014.3/11(火)に開催
※このイベントは終了しました。

【経歴】
2007年「梅は咲いたか 桜はまだかいな」でメジャーデビュー

2008年「母賛歌」リリース。母親に感謝を贈る歌として各方面で話題を呼ぶ

2009年 UNIVERSAL SIGMA/ISLAND LABELに移籍、移籍第一弾シングル「ずっとそばに…」をリリース

2010年 「キミに出会えてよかった」はプロゴルファーの石川遼選手が広報キャラクターを務める「はたちの献血」キャンペーンのCMソングとなり、MUSIC VIDEOには女子フィギュアスケート選手の鈴木明子選手が友情出演していることでも話題となる。
映画 「きな子~見習い警察犬の物語~」の主題歌となった「only one~逢いたくて~」リリース

2011年「第44回日本有線大賞」にて、「人間失格」で「有線問い合せ賞」を受賞。

2012年 著書「Metis 母賛歌 ~わたしを生んでくれてありがとう、10年後の交換日記~」を発売

2013年 アルバム「Girls to Women」をリリース
現在シングル10枚、ミニアルバム3枚、フルアルバム3枚をリリース。

お名前
Metis(メティス)さん
出身地
広島県広島市
休みの日の過ごし方
ゲームが好きで、最近は特にバトルものをよくやっているそう。

※この記事はaruku2014年3月号に掲載したものです。内容は取材時のものです。

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