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「星の村天文台」の天文博士に聞く!ヨルソトの楽しみ方 

夜の空の楽しさは、星好きに訊くに限ります。福島イチの天文博士と言えば、本やラジオでもお馴染み、星の村天文台の大野台長。台長の星見人生の節目となった天文現象や、今月のヨルソトの楽しみ方を教えていただきました。


星の村天文台台長 大野 裕明さん
1948年6月19日 福島市生まれ。
㈱大野企画 代表取締役。福島天文同好会会長。18歳の頃から、世界的に有名な天体写真家・藤井旭氏に師事。元国立科学博物館・村山定男博士にも師事し、数々の隕石捜索隊および調査隊に参加。天文ジャーナリストとして講演活動や移動観測会講師として活躍中。

休み時間に先生が見せてくれた太陽がきっかけでした

aruku: 私達、普段は何気なく星を眺める程度なのですが、大野台長がこれほど星好きになったのは何故だったんですか?

大野台長: 小学校の休み時間に、先生が望遠鏡で太陽を投影して見せてくれたんです。授業では顕微鏡でミジンコなどばかりを見ていたけど、望遠鏡という小道具があれば危険な太陽だって見られるんだなと思ってね。やがて高校生になると、後に「星になったチロ」を書いた藤井旭さんに出会い、天文好きの仲間と集まるようになったんです。チロはよく私の足を噛んで歓迎してくれました(笑)。

aruku: 福島は星を見るのには良い場所なのでしょうか?

大野台長: そう思いますよ。空気もきれいですし、ウルトラマンの円谷監督の故郷ですしね。1975年夏には、私ら3人とチロとで、吾妻山で「星空への招待」という天文イベントを始めました。今でこそあちこちで天体イベントが開催されるけれど、当時は天文好き同士の交流なんてありませんから、そういう意味では日本で初めての試みでした。きっかけづくり…私達はいつもそういう役割をしてきましたね。10年続けて、最後は2000人規模のイベントになりました。


星になったチロ
藤井旭 著(ポプラ社/1984年)
白河天体観測所の天文台長を務めた北海道犬チロと、星仲間たちとの友情物語。物語の中には大野青年もたびたび登場。


チロと一緒に
「星になったチロ」のチロや作者の藤井旭さんは、大野台長の親しい天文仲間だったとか。写真は藤井さんに撮影してもらった、チロとの懐かしいツーショット。

1965年の「池谷関彗星」は忘れられません。

aruku: 台長は世界中を回られていますが、一番思い出深いのは?

大野台長: 小学生の時に初めて見た「カシオペア座」ですね。カシオペア座のWは全天を跨ぐほど大きいと思っていたからなかなか見つけられなくて、分かった時は小さいなと思った記憶があります。当時、見たいと思っていたものが3つああったんです。「彗星」「皆既日食」「オーロラ」。すべて見ることができましたが、中でも、私はずっと「彗星」追いかけてきました。1965年に「池谷関彗星(写真)」に出くわしたんですよ。山の手に長く尾をひく星が忽然と現れたんです。すごかったですよ。それ以来、彗星を追いかける人になりました。今来ている「アイソン彗星」も、「池谷関彗星」くらいの大彗星になるんじゃないかと言われているんです。この後の成長が実に楽しみですね。
「アイソン彗星」が見えるのは明け方です。早起きで三文も五文も得しますよ。別に遠出をしなくて良いんです。私はベランダ天文学を推奨しています。双眼鏡や望遠鏡も世界も良いですが、星座や流れ星は肉眼が一番です。彗星は双眼鏡があると良いけれど、今回は肉眼でも見えるんじゃないかと言われています。あまり気負わず楽しんでください。


池谷関彗星
1965年に出現したこの大彗星が、台長を彗星のとりこにしました。右下のアンテナと比べると、彗星がいかに大きかったか分かりますね。


ヘール・ボップ彗星
明るく、2ケ月もの間肉眼で見えていたので、覚えている人もいるのでは。


絆望遠鏡
星の村天文台には、
福島県で最大、口径65cm反射式天体望遠鏡があります。その大きさと、全電動で動くシステムに感動。望遠鏡を覗いて、その中に広がる別世界にまた感動。


ウルトラの星!?「M78 星雲」
写真は、ウルトラマンの故郷として有名な「M78 星雲」。
オリオン座のすぐ近くに見えます。でも、もともとウルトラの星になるはずだったのは、実は「M87星雲」。7と8を誤って表記されたまま定着したそうなのです。ちなみに、「M87星雲」はおとめ座の銀河。本当に生命体がいるかも…と、台長。


カナダのオーロラ
地球に吹き付ける太陽風の粒子(プラズマ)が大気圏に突入して光る現象。南半球でも見られるんです。


1983年インドネシアの皆既日食
台長が憧れた3大天文ショーのひとつ。日本では昨年、金環日食がありましたね。

※この記事はaruku2013年12月号に掲載したものです。

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