小児科医| プロフェッショナル夢名鑑

小児科医は人生で一番初めにお世話になるかかりつけのお医者さん。夢を叶えるまでの道のりや仕事のやりがいをさかい小児科クリニックの酒井先生に伺いました。

お母さんが感じた子どもの異変は絶対。
その心配を取ってあげるのも大切な役割です。

「子どもたちが大好き!」という酒井先生。
診察中も優しい表情から安心感が伝わってきます。

小児科医を目指したきっかけを教えてください

酒井 私の父も小児科医でした。今から50数年前の郡山にはまだ小児科の医療機関が少なく、地域の子どもたちを助けたい思いで開業したと聞いています。昼夜問わず診療を続ける父と一緒に遊んだ記憶はほとんどなく、私にとってはいつも医師の顔の父でしたが、その背中を見て育ったせいか、医師は一番身近な職業でしたね。患者さんのために必死で働く父の姿に、いつしか自分もそんな誇りを持って働ける仕事がしたいと、自然と医学の道を目指すようになりました。

医学部に入るのは大変だと思いますが、どのような勉強をされたのですか?

酒井 もちろん努力はしましたが、私の時代は今と比べるとそこまで厳しくなかったように思います。学校の授業を集中して聞き、苦手科目の文系科目は過去問を中心に繰り返し取り組みました。特別勉強漬けの学生生活ではありませんでしたが、「医学部に進む!」という目標設定は早い時期に定めていましたね。

医学部時代で印象に残っていることはありますか?

酒井 私が進んだ昭和大学では、昔からの伝統として1年生の間は山梨県の富士吉田キャンパスで全寮制での共同生活を送ります。それも、薬学部や歯学部など他学部の学生も一緒に。医療に携わる者としての協調性や思いやりなど、勉強だけでは身につかない人間力はこの時に学びましたね。同じ釜の飯を食べた当時の仲間とは、今でも交流が続いています。

具体的に医学部ではどのようなことを学ぶのですか?

酒井 統計学やドイツ語、法学など医学以外の一般的な教養からはじまり、学年が進むにつれて、生理学や解剖学、内科や外科などの基礎知識といった具合に、専門的な医療の知識を身に付けていきます。私の時代はありませんでしたが、今は4年生の時にCBTというコンピュータを利用した試験やOSCEという臨床能力試験があり、これらに合格しないと5年生に進級できません。また、毎年行われる定期試験の成績が悪くても留年になります。

入ってからも大変なことが多いのですね。

酒井 5年生になると、大学病院や関連病院での実習で国家試験のための実践的な医療を学びます。その後、全ての医療の知識を問う国家試験をクリアすることで、晴れて医師免許が取れます。しかし、そこからさらに2年間は研修医として総合病院や大学病院に勤める必要があります。つまり、専門の科の医師になるまでは8年もの時間が必要なのです。実は最近、小児科や産科を志す医師の不足が問題になっています。

なぜ小児科医を目指す人が減っているのでしょうか?

酒井 少子化で子どもの数が少なくなっていることも一つの原因ですが、小さい子どもは自分の症状を伝えることができない分、一瞬も目が離せません。私も総合病院に勤務していた頃は、超低出生体重児が生まれた時など、泊りがけで病院にいたことがあります。この世に生を受けた赤ちゃんが元気に育つための力になれるのは、小児科医にとって大きなやりがいなのですが、勤務時間が長時間になりやすい点も現実的な理由として挙げられると思います。

現在は開業されていますが、総合病院にいた頃と仕事内容に違いはありますか?

酒井 一日に診る患者さんの数は開業医になってグッと増えました。特に今年はインフルエンザが大流行したので、ピークの時期は大変でしたね。総合病院では入院が必要な子どもも多くいますが、ここでは症状がひどくなる前に抑えてあげられるので、ぐったりして来院した子が次に元気な笑顔を見せてくれると、小児科医になって良かったなと思いますね。また、予防接種を行うことも多いので「痛い注射をする先生」と、私の顔を見ると泣かれてしまうこともありますが(笑)、お子さんが大きな病気にかからないための予防のお手伝いができるというのも医師として嬉しいことです。

子どもたちやお母さんと接するときに心がけていることはありますか?

酒井 お母さんの感覚は何より正しいと思っています。病院に来た時の様子しか見ていない私たちと違い、わが子の様子を誰よりも知っているのはお母さんですからね。そのお母さんが「様子がおかしい」と病院に連れてきたのだから、何か理由があるはずです。最初の検査で異常が見られなくても、慎重に原因を探るように心がけています。実際、そのおかげで大きな病気を早期発見できたケースもありました。

先生にとって小児科医とはどんなお仕事ですか?

酒井 人の命に関わる仕事ですから、責任は大きいですがその分やりがいも大きい仕事です。医師になるまでももちろん大変ですが、なった後でも学会などに参加し、常に最新の知識を身に付けなければなりません。かかりつけの先生が病院を留守にするのも、日進月歩する医療の技術を学ぶためと理解していただけるとありがたいです。私が父の背中を見て小児科医を目指したように、今、小児科医を目指して頑張っている息子や次の世代のために、私自身も良い礎になれるよう努力を続けていきたいです。

診察室に飾ってある元気になった子どもたちからの手紙や似顔絵は、酒井先生の宝物。

常に最先端の知識が求められる医師のお仕事。
電子カルテの導入に伴い、PCの知識も必須に。

お名前
酒井 英明(さかい ひであき)さん
出身地
福島県郡山市
出身校
昭和大学医学部、福島県立医科大学大学院
座右の銘
自知者明(みずからをしるものはめいなり)
「自らを知る者は明晰な知慧を持つ。己を知ることが一番大事」という老子の言葉
趣味
将棋、ガーデニング

※この記事はaruku2019年4月号に掲載したものです。内容は取材時のものです。

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