ファッションデザイナー |プロフェッショナル夢名鑑

着る度に馴染んで、色合いの変化も楽しめるいつまでも着たいと思う服を届けたいんです。

会津木綿の工場「はらっぱ 原山織物工場」にて。山崎さんのストールも会津木綿で作ったストールです。

山崎さんはどんなお子さんだったのですか?

山崎 私は昔から美術がすごく好きで、将来は美大に行きたいと思っていました。けれど、美大に合格することはできなくて。親の反対もあり、卒業後は一浪して公立の大学に進学しました。でも、美大に行きたいという気持ちは消えず、21歳のときに大学を中退して、働きながら美大を目指す人の予備校に通い始めたんです。でも、なかなか合格することはできませんでした。

途中で別の道は考えなかったのですか?

山崎 今回で最後にしようと決めて受験した年にやっと合格したんです、私。27歳のときでした。きっとこのときに落ちていたらあきらめていたかもしれませんね。入学後は工芸や舞台に興味があったので、舞台美術を勉強しました。舞台美術と一言で言っても、大道具から衣装も含めて、舞台に関連するものは全て作るんですよ。だから、このときに服を作ることも学びました。今回で最後にしようと決めて受験した年にやっと合格したんです、私。27歳のときでした。きっとこのときに落ちていたらあきらめていたかもしれませんね。入学後は工芸や舞台に興味があったので、舞台美術を勉強しました。舞台美術と一言で言っても、大道具から衣装も含めて、舞台に関連するものは全て作るんですよ。だから、このときに服を作ることも学びました。

ファッションデザイナーを目指したきっかけを教えてください。

山崎 大学院に進学してからは、院に通いながら舞台美術の仕事もしていたので、このまま仕事を続けるつもりでした。けれど、卒業の年に妊娠していることがわかり、今後は子育てと仕事を両立できる仕事に就きたい、と考えるようになりました。それで、ファッションデザイナーの道に進むことを決めました。それから卒業後は事務の仕事をしながら資金をためてヤンマ産業というアパレルの会社を立ち上げ、「YAMMA」というブランド名で服の販売を始めたんです。私の母が縫子だったこともあり、YAMMAも受注してから縫子さんが手づくりして販売する形でスタートしました。今もその方法は変わらずに作っています。

いろいろな色の糸を合わせて織ることで、会津木綿独特の色合いを表現しています。

YAMMAはどのような服なのですか?

山崎 私自身が流行に興味がないので、「シルエットがキレイなデザインで長く愛用できる服」をコンセプトにデザインしています。だから、着心地が良い素材にこだわり、全国の工場を見ては素材を自分で探して作っているんです。そんな中で会津木綿と出会ってからは、YAMMAの服はほとんど会津木綿で作っているんですよ。

会津木綿を知ったきっかけは何だったのですか?

山崎 お客様に会津出身の方がいて、会津木綿で作ってほしいとの要望があったんです。そのお客様が会津木綿の工場に知り合いがいるということで、すぐに見学させてもらいました。丈夫で、冬温かく、夏は風通しの良い素材は一年通じて着られるし、多色の糸で織り上げた会津木綿特有の色の出し方に魅了されましたね。だから、見学に行ってすぐに工場の社長に仕入れさせてくださいとお願いしたんですよ。

そこからずっと会津木綿で服を作っているのですね。

山崎 はい。東日本大震災も、会津の工場は幸いにも甚大な被害はなく取引を続けられました。その後、八重の桜などで会津が注目されたときは、他の注文も増えて大変だったはずなのに、私との取引に一度も遅れたことはなかったんです。でも、社長が身体を壊してしまって、跡取りもいない工場は取り壊すことになってしまいました。今後の仕入先にも困るし、何より今まで一緒にやってきた工場を残したくて、私が事業を引き継ぐことを決意したんです。

工場で働くのは全員女性。先代のときからずっと働いているベテランさんばかりです。

会津木綿との出会いが工場を買い取るまでに発展したのですね。

山崎 そうなんです。価値のあるものは残したいという気持ちが強いんです、私。正直不安もありましたが、その工場もまもなく1年を迎えて少しずつ体制も整ってきました。今後は、会津木綿の素晴らしさを世界中の方に知ってもらうために、ニューヨークでも販売するつもりなんですよ。

ニューヨークで販売することで、世界中の方に知ってもらえるのですか?

山崎 ニューヨークは様々な文化や人、モノが集まる場所です。すでに、日本の伝統的な商品の販売はされていますが、一時的なイベントだけの販売が多くて。どうせやるなら、ニューヨークに根ざして売りたいと思っています。だから、私自身がニューヨークに渡ってお店を出し、今後は長期的に販売するつもりです。一度挑戦したなら、結果を出すまでやりたい性格なんですよ。

ファッションデザイナーを目指す子どもたちへメッセージをお願いします。

山崎 ファッションデザイナーになれる人は本当に限られています。『衣食住』というように、服は生活に密着しているものなのに、衣に関する勉強ができる大学が日本には少ないんですよね。だいたい専門学校になってしまうので。でも、それを言い訳にしていたらファッションデザイナーにはなれません。私のように、服飾の専門学校を出なくたってなれる人もいます。だから、自分の夢を叶えるためにできることを考え、行動することが大切です。その行動力が結果に繋がると思って頑張ってくださいね。

山崎さんがデザインしているYAMMAの洋服。

展示会では、会津木綿で作った小物類の販売もしています。

お名前
ヤンマ産業株式会社 デザイナー はらっぱ代表 山崎 ナナ(やまざき なな)さん
出身地
熊本県熊本市
出身校
東京藝術大学大学院

※この記事はaruku2016年3月号に掲載したものです。内容は取材時のものです。

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