作家(前編)| プロフェッショナル夢名鑑

前編・後編に分けて芥川賞受賞作家 玄侑宗久さんに作家のお仕事を伺いました。前編では作家になるまでの半生をご紹介します。

書かない時間が私を大きく成長させてくれました。

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住職、そして作家として活躍する玄侑宗久さん。取材当日は新作の締め切り日にも関わらず、快くインタビューに応じていただきました。

幼少期はどのように過ごされたのですか?

玄侑 小学生の頃は、通信簿によく“落ち着きがない”と書かれていましたね。野球をして本堂のガラスを割ったり、駆けっこをして墓石を飛んだり。振り返れば確かにわんぱくだったかもしれません。私が文学に興味を持ち始めたのは、「ツケで買っていい」と父に言われた書店で購入した『怪盗ルパン』を読んでから。誰も持っていなかった文庫本を手にしたワクワク感、読み進める中で感じた高揚感は今も記憶に残っています。

中学生の頃、人生観を変える大きな出来事があったと聞きました。

玄侑 中学3年生のときに日本脳炎を患い、3日間の昏睡状態、さらに40日間もの入院を余儀なくされました。学校にも行けずに病室で本に読みふける中で、ある時、北杜夫さんの『幽霊』という作品に出会ったのです。主人公が過去に思いを馳せ、記憶の中を遡る内容なのですが、この小説に触発されて15年間の人生、そして“死”について考えるようになりました。当時は「最悪、意識が無いことも気付かずに死んでいたかもしれない」とか、そんなことばかり想っていましたね。私の作品には「生と死」をテーマにしたものが多数ありますが、この時の経験、そして北さんの小説からの影響は大きいと思います。

死に直面した経験が今の作品の根底にあるのですね。

玄侑 そうですね。高校生になると幅広いジャンルの本を読み、童話や詩を書くようになりました。作家になりたいと感じ始めたのはこの頃からです。大学に進んでからは、様々な職業を経験したいとの思いから学生の身分を隠し、社員として色々なところで働きました。コピーライターや英語教材の営業、ゴミ焼却所やナイトクラブのスタッフなんてこともやりましたよ。ただ、合間を縫って執筆した小説は一向に芽は出ませんでした。24歳の頃に執筆した作品は新人文学賞の最終選考で落選。雑誌掲載が決まった作品もありましたが、直前に出版社が倒産して反故になりました。20代は今も思い出したくないくらい、辛いものでしたね。

作家になることは、本当に難しいことですね。

玄侑 父と「27歳になるまでに芽が出なかったら諦める」と約束していましたが、成し遂げることは出来ませんでした。ただ、文学の道を諦めることも出来なかったんです。そこで私は、修行に出ることを決意しました。長男なのでお寺の跡継ぎとして期待されている意識はありましたが、当時から宗教をテーマにした作品も書いていて、作家として生きるなら“宗教の本質”を知らなければならないと感じたからです。「まず修行して、書くのはそのあとだ」と割り切り、京都嵐山の寺に入門しました。ただ、道場での生活もじつに刺激的で、退山するまでの3年間、文章を書くことは一切ありませんでした。

なぜ、また文章を書こうと思ったのですか?

玄侑 お寺に戻って亡くなった檀家さんを見送りながら、毎回短編小説を書くような感覚を覚えたことが始まりでしょうか。その方の一生を聞いて戒名を付けるのですが、どうしたって書き足りないんです。親族の方から感謝されたとしても、お葬式後にやり切れなさを感じていました。そのエネルギーが溜まり、ある日突然私の中で爆発したのです。また小説を書きたい、その思いが湧き上がり自然と筆を持っていました。

改めて執筆してみて、いかがでしたか?

玄侑 不思議なことに、若い頃は苦労しても書き進められなかった文章が、なんとなく自然に書けるようになっていたんです。文章は原稿を一万枚書いても、必ずしも上達するものではありません。だけど、一度文学と距離を置き、一生懸命別なことに取り組んだことで、今まで見えなかったものが見えてきたんでしょうね。文学に限らず、何か壁にぶつかったときは、それでもぶつかり続けるのではなく、横に行ってみるのも手なのかもしれません。だって気がついたら壁は無くなっているかもしれないのですから。

【経歴】
1956年 福島県三春町にある福聚寺の長男として生まれる
1971年 日本脳炎で3日間の昏睡状態、約40日間の入院生活を送る
1972年 福島県立安積高等学校に進学し、童話や詩を執筆
1975年 慶応義塾大学文学科に進学。小説の執筆の傍ら様々な職業を経験
1980年頃 埼玉県川口市のゴミ焼却場で働きながら、小説を応募する生活が続く
1983年 京都嵐山の天龍寺専門道場に入門し、僧侶としての修行を始める
2000年 「水の舳先」が『新潮』に掲載され、芥川賞最終候補作になる
2001年 「中陰の花」が第125回芥川賞を受賞
2007年 「般若心経 いのちの対話」で文藝春秋賞を受賞
2009年 妙心寺派宗門文化章受賞
2010年 『アブラクサスの祭』が映画化
2014年 「光の山」が芸術選奨文部科学大臣賞受賞
2015年 「東天紅」が第41回川端康成文学賞最終候補作となる
2018年 1月『竹林精舎』を刊行

ご自身の宗教観や失敗談など、ジョークを交えて気さくにお話してくれました。

後編はこちら

お名前
臨済宗 福聚寺住職 玄侑宗久(げんゆう そうきゅう)さん
出身地
福島県三春町
最終学歴
慶応義塾大学文学部中国文学科
趣味
美味しいワインを飲むこと、庭の手入れ

※この記事はaruku2018年2月号に掲載したものです。内容は取材時のものです。

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