地元の方や打ち上げる方々の特別な“思い”が込められている、浅川の花火

本町青年会会長 須藤さん
この花火は花火大会ではなく、慰霊花火の意味を持ちます。その由来は諸説ありますが、江戸時代後期、寛政10年(1798年)の「浅川騒動」の犠牲者供養のため、花火を打ち上げたことが有力とされています。以来、浅川の花火は様々な戦没者や東日本大震災の犠牲者など、多くの命を供養する役割を担ってきました。
浅川の花火では、ご先祖様や故人を供養するため、花火の大半は町民自らお金を出して打ち上げています。昭和の初めまでは、各家庭で花火を作って、それを打ち上げていました。花火にも種類があり、その作り方を記した秘伝書が代々伝わっていたそうです。
須藤さんは「1発1発に故人への感謝と供養の思いが込められています。この花火を通じて、その思いが天に届くよう打ち上げています」と語ります。
打ち上げるのは町のみなさん!
「浅川の花火」を主催しているのは、須藤さんが所属する町の市街地を二分する荒町と本町の2つの青年会。会員は全員が花火を打ち上げる免許を取得しているというから、それだけ花火にかける熱意が伝わってきます。さらに、見所の一つである「からくり花火」は、両町の青年会が一緒になって作り、運搬まで行います。8月16日当日は夕方に出発式を行い、40~50人で担ぎ、町内を練り歩きますが、その姿はまるでお神輿のよう!町の人も声援をおくり、それに担ぎ手たちが応える様子はお盆の風物詩となっています。
現在の花火大会では機械打ち上げが主流ですが、浅川町の花火が「伝統」と呼ばれる所以は、「手打ち」でも行っていること!熱した鉄が入っている筒に花火玉を入れ、100発ほど打ち上げる「早打ち」は見どころでもあり、危険と隣り合わせの作業で行っています。
ここでしか見られない花火がたくさんある!
歴史や伝統だけでなく、実際に打ち上げられる花火も個性豊か!その中でも特に注目の花火を紹介します。

浅川の慰霊花火
東日本大震災の犠牲者の慰霊と復興を願って毎年テーマを変えながら打ち上げられる慰霊花火では、県内最大級の二尺玉も打ち上げられます。スケールの大きなその姿は息を飲む美しさ!

大からくり
太い丸太を組み合わせ、青竹を結び付けて製作する大からくり。文字通り様々な仕掛けが凝らされていて、絵柄や文字が浮き出たり、七色の閃光が飛び散ったり、爆裂音を響かせたりとワクワクしながら楽しめます。かつては荒町、本町それぞれの青年会が作り、技や美しさを競っていました。

浅川の滝
大からくりから連続点火され、会場を一気に盛り上げるのが全長200mに及ぶ名物のナイアガラ花火。

大地雷火
「浅川の花火」を締めくくる「大地雷火」。他の花火とは打上げ場所も打上げ方法も全く違う、ここでしか見ることができない花火です。最大の特徴は、花火玉を打ち上げるのではなく直接地上で破裂させること。大きな爆発音とともに扇型に花火が広がる姿は、まるで町を見下ろす城山が噴火したような圧巻の光景です。
夏だけじゃない!浅川町では、全部で年4度花火が上がる!
実は浅川町で花火が上がるのは夏だけではありません。春には桜と一緒に楽しむ「夜桜花火」、秋には収穫を祝う「豊秋花火」、大晦日から元日にかけては除夜の鐘の替わりとして花火が打ち上げられます。季節ごとに違った花火の楽しみ方ができるのは、浅川町ならではの大きな魅力!そんな“花火の里”でも別格の注目度を誇る「浅川の花火」は必見です。

春の夜桜花火

秋の豊秋花火

除夜の花火
若くして会長に任命された須藤さんは「浅川の花火では、人口6,000人余りの小さな町に人口の5倍以上の人が訪れます。花火見物に来るみなさんの安全も確保しながら、無事に花火が打ち上げられるよう、町役場や消防団、町の方々と一緒に取り組んでいます。花火は浅川の伝統であり、誇り。危険を伴う作業もあり大変ではありますが、伝統に携わっていることがとても嬉しく感じます。1年通して、浅川町の花火をぜひ見に来てください」と話します。
インフォメーション
- 【日時】
- 2025年8月16日(土)19時打ち上げ
- 【観覧場所】
- 浅川町民グラウンド
- 【主催】
- 浅川町両町青年会
- 【後援】
- 浅川町・浅川町商工会・浅川の花火後援会
- 【お問合せ】
- 0247-36-2815(浅川町役場 企画商工課)