相馬市復興支援員|プロフェッショナル夢名鑑 

東日本大震災から10年。相馬市観光協会で復興支援員として働く井島さんにお話しを伺いました。

支援員というのはおこがましい。私達は地元の人たちと一緒に頑張る応援隊です。

大熊町や双葉町など、相双地区の復興支援員同士の交流会からアイデアが浮かぶこともあるそう。(中央/井島さん)

復興支援員のお仕事とはどのようなことをするのですか?
井島 復興支援員とは、東日本大震災からの復興に向けた任期付きの人材支援の一つで、役割としては大きく3つの分野があり、津波や原発事故によって県内に避難した方々のコミュニティの再生、行政と共に行う復興のための事業やイベントなどの計画・運営、県外避難者を対象とした心のケアなどに分けられます。私は被災地を視察に来る方々のアテンドや、観光イベントの企画・準備など、相馬市と協力しながら街の復興・発展のための活動をしています。

井島さんが復興支援員になられたのはどうしてですか?
井島 結婚した後は南相馬市小高区にUターンしたのですが、震災後は避難指示区域に制定されたため、飯坂町や両親のいる相馬市に家族で避難しました。原発事故も重なり過酷な状況ではありましたが、今をどうしていくか、親の頑張る姿を見ていれば、自分の子どもたちも元気になる気がして、ただ前を向いていましたね。避難している間は、旧知の仲間にたくさん助けてもらい、いつか恩返しができたらと考えていた時に相馬市でも復興支援員の募集があり、相馬市や福島県が復興するためのお手伝いがしたいと思い応募したんです。試験を受け、震災翌年の3月から復興支援員として活動しています。

井島さんは現在、相馬市観光協会で働かれているんですよね。
井島 復興支援員といっても、商工会議所や漁業組合で働く支援員もいて、多方面から復興のためのアプローチをしています。相馬市観光協会では、漁業・農業に携わる方と協力して行う体験型エコツアーの提案、スポーツツーリズムを利用した合宿の誘致などもしています。相馬市の運動施設や旅館などはキャパシティこそ大きくありませんが、綺麗に整備されており、穏やかな気候とも相まってスポーツ合宿などに適した場所でもあります。これらは震災によって再発見した新たな魅力だと思いますし、主要観光地の松川浦の復興とも併せて、多くの方に相馬市を訪れてもらえるきっかけになればと思っています。

復興支援員になる前はどんなお仕事をされていたのですか?
井島 旅行業や観光業に従事していました。中学校の修学旅行についてくれた添乗員さんが明るく、分かりやすく説明してくれて、私もこんな人のようになりたいなと思ったのがきっかけです。大学卒業後からずっと同じ業界で働いていたので、そろそろ違うことに挑戦しようかと思っていた時に東日本大震災がありました。今、復興支援員としてまた観光業に携わっているのは何かの縁かもしれませんし、かつての経験を活かせているのは嬉しく思います。

震災から10年経ちますが、これまでの活動はいかがでしたか?
井島 初めこそ悲惨な状況でしたが、相馬の人達はパワーや意欲がある人達が多く、事業継続のためのアドバイスや提案、行政や各種窓口への案内など、私たちが少しアシストすることで多くの方が生活を再建し、復興してきた姿を見てきました。私達自身、支援を受ける身であるので、支援員と名乗るにはおこがましく、「応援隊」と名付け、地元の方と一緒に頑張ってきました。津波被害の大きかった沿岸部をはじめ、道路や街の整備も進み、初めは街づくりに関係する団体が見学に来ることが多かったのですが、近年では観光復興として個人で訪れる方もいて、相馬市の復興が広く知られるようになってきたのかなと思います

活動の中で嬉しかったことはありますか?
井島 他県から被災地の状況を教えてほしいと招待されたことがありました。その時は画像と映像、そして私の体験談を交えて説明をしたのですが、「今度は現地に行ってみたいと思います」と言ってくれた方がいて、その後実際に相馬市を訪れ、ご自身の目で、肌で相馬市の現状を感じてくれた時は嬉しかったです。また、毎年観光に来られるリピーターの方もいて、復興していく姿を一緒になって感じてくれていると思うとありがたいなと思います。

反対に大変だなと感じることはありますか?
井島 被災者といっても、一人ひとり状況は様々です。津波や原発事故による影響はそれぞれ違いますし、考え方や感じ方が異なる被災者もいます。視察のアテンドや説明では、いろいろな想いを抱える人がいることを念頭に置き、悲しくならないように話すことを心掛けています。天災は誰も悪くない。福島を負の遺産にしないためにも、プラスでもマイナスでもなく公平な立場で正しい情報と、頑張る人たちのことを伝えていく必要があると思っています。

今後はどのような活動をしていきたいですか?
井島 いずれ復興支援員という肩書はなくなってしまうかもしれませんが、どのような形であっても相馬市や福島県の復興・発展のために尽力していきたいと思っています。また、浜通りの市町村が連携することで、もっと大きなイベントや企画ができるようになり、相馬市を訪れてもらえる機会が増やせると思うんです。相馬市で採れる農産物や水産物を活かした特産品を作ったり、旅行や観光業など相馬市から外に向けての情報発信をしたり、支援員でなくても相馬市の魅力を伝えていく仕事はどんな場所にでもあると思います。相馬市から福島を元気にしていき、生涯で絶対に訪れてみたい場所として、世界に誇れる場所にしていくことが私の夢です。

2018年に開催されたハイウェイフェスタで、相馬市の魅力をPRする井島さん

お名前
井島(いじま)さん
座右の銘
人は出会って知人となり、語り合って友人となり、活動し合い仲間となる
休日の過ごし方
ゴルフ・散歩

※この記事はaruku2021年3月号に掲載したものです。内容は取材時のものです。

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