「自然を扱う難しさがあるぶん、うまくできたときの喜びが大きい」
―漆職人とはどんな仕事でしょうか?
平井 みなさんの身近なところでは味噌汁に使われるような木の器を漆器と呼びます。私は、その漆器に塗る漆を山から採取し、採取した漆を器に塗れる状態に精製し、器に塗るまでを仕事としています。漆器というと赤や黒の器をイメージする人が多いと思いますが、私は器そのものが持つ木目の風合いを大切にしているので、透明感のあるあめ色の漆器を多く作っています。
―漆と関わることになったきっかけを教えてください。
平井 私は京都の出身で、全国でも珍しい美術科のみの高校に進学しました。デザインや陶芸など、さまざまな美術を学べる学校でしたが、そのなかに漆もあったんです。自分にとって未知の領域で、「よくわからないけど面白そうだな。もっと知りたいな」と感じました。卒業後は、漆をより深く学べる山形県の東北芸術工科大学に進学しました。
―漆職人になると決心したのはいつ頃でしたか?
平井 大学3年生のとき、漆器の世界で非常に有名な角偉三郎(かどい さぶろう)という漆工芸作家の器に出会い、感銘を受けました。「自分もこんな漆器が作りたい」と思い、一般的な就職活動は一切せずに、各地の職人さんを訪ねては「修業させてほしい」とお願いして回りました。当時すでに漆器の需要は減っていたので、仕事として続けていくには相当な覚悟が必要で、断られることばかりでした。しかし、茨城で作家活動をしている方の会社で受け入れてもらえることになり、そこで5年間修業しました。
―修業先ではどんな仕事を経験しましたか?
平井 例えば料理の世界では、農家さんは野菜を作る人、シェフは料理を作る人と役割が分かれていますよね。漆器の世界も同じで、漆の木を削って樹液を集める人、集めた樹液を精製する人、精製した漆を器に塗る人、絵を書く人など、役割ごとに分業化されています。そのため、漆塗りの職人であっても漆を採取する現場は見たことがないというケースがほとんどです。しかし、私の師匠は漆の木を自社林で育てていて、製造から販売まで、すべての工程を工房のスタッフで手分けして作業していました。もちろん私も、自社林の管理や漆の採取、塗りの作業と、複数の仕事を担当しました。修業を終えてからは、大学で知り合った妻が郡山の出身だったことから、師匠がいる茨城に近く漆の産地でもある福島を拠点に活動を始めました。現在は猪苗代町に工房を構え、制作した漆器は各地で開催される工房イベントなどで販売しています。
―仕事のやりがいや面白さを教えてください。
平井 工業製品ではなく自然のものを扱う仕事なので、器の仕上がりは毎回微妙に違ってきます。漆は木の表面に傷をつけて樹液を採取するんですが、その傷のつけ方ひとつでも漆の質は変わりますし、「こうすれば絶対にうまくいく」という答えがないんです。それをうまくコントロールし、できる限り高い品質に仕上げることがこの仕事の面白さ。難しさがあるからこそ、満足できる作品ができた瞬間は何よりうれしいです。
―今後どんなことに挑戦したいですか?
平井 すでに始めている挑戦ですが、漆の木を植林するプロジェクトに取り組んでいます。漆の原料となる漆の木は自生するものではなく、果物と一緒で植林しなければ育ちません。福島はもともと漆の一大産地でしたが、現在は漆の木が減っている状況です。そもそも日本では全国的に漆の生産が減っていて、日本で流通している漆の95~96%は中国産が占めています。そのため、「漆に関わる仕事がしたい」と若い方から相談を受けても断ってしまっています。この状況を変えるため、地元の仲間たちと協力し、高齢化などで使われなくなった畑や田んぼに漆の木を植える取り組みをしています。木を増やすことで、漆の仕事に興味がある若い人たちが挑戦しやすい環境を作りたいです。また、植林が広がれば人と動物の生息域に境界線が生まれ、クマやイノシシから人や農作物を守ることにもつながります。
―子どもたちへメッセージをお願いします。
平井 いろんなものを見ながら育って欲しいです。それも、本物を見て欲しい。今はインターネットで何でも見られる時代ですが、本物を見てこそ、また本物に触れてこそ気付くものがあると思うんです。私も師匠から「漆だけを見ていてはだめだ」と教わりましたし、さまざまな分野の作品に触れるなかで、自分の作品がどうあるべきかを考えるようになりました。まずは興味のあることだけでも良いと思います。ちょっとでも「面白そうだな」と思うことがあればどんどん触れてみてください。そこから思いもしない新しい世界が広がっていくかもしれません。

平井さんが作った漆器。「大量生産品に比べると高価ですが、ぜひ日常で使って欲しいです」

樹液を採取するために表面が削られた漆の木。削り方ひとつで漆にも個性が出るのだとか。

荷を待つ平井さんの作品たち。全国各地の催事などで人気を博しています。
プロフィール
【お名前】
平井さん
【最終学歴】
東北芸術工科大学
【趣味】
冬のワカサギ釣り
※この記事はaruku2025年6月号に掲載したものです。内容は取材時のものです。