いちご農家|プロフェッショナル夢名鑑 

自分が生まれ育った環境の豊かさを多くの人に伝えるべく、いちご農家に転身した太田さんにお話を伺いました。

この土地で生きていく。地元の為にも息子の為にも、自分ができることを考えました。

「多くの人の笑顔の中心になるような、信じられないくらい美味しいいちごを育てていきたいです」と話す太田さん。

太田さんは小さい頃から農業に興味があったのですか?
太田 まったく興味はなく、まさか自分がいちごを育てる農家になるなんて思ってもいませんでした。父が建築士ということもあり、大学は工学部に進学しましたが、母が助産師の仕事をしていたので医療系にも興味があり、大学卒業後に選んだ道は外資系の製薬会社の営業職でした。やるからにはトップを目指そうと決めていました。

そこからいちご農家に転身するきっかけは何だったのですか?
太田 東日本大震災です。当時関西勤務だった私は、すぐさま地元にいる家族に連絡を取りました。幸いにも皆無事でしたが、その後1週間は連絡が取れませんでした。後から聞きましたが、公務員として働く母や弟妹たちは、自分たちも被災する中、地域に住む人たちの安否確認や生活支援のために必死に走り回っていたそうです。福島は原発事故もありましたし、私も家族に関西に来ないかと話をしたのですが、「自分が選んだ仕事だから皆のために全うしたい」と弟に言われ、私にもできることはないかと考え始めました。

その答えが農業を始めることだったのですか? 
太田 前職も好きだったので福島市に転勤し仕事を続けながら、週末は復興ボランティアとして相馬市や南三陸町に行きました。そこで目にしたのは、街を元通りにするのではなく、イベントなどを通して人との交流や地域の発展を図る人々の姿でした。それを見て新たにその地に価値を生み出すことが、土地を守ることに繋がるのではないかと思い、地元の土と水を活かす方法として農業に興味を持ったんです。母が幼少期に果物をよく出してくれていたこともあり、育てるなら果物にしようと決めて、会社員をしながら県内の農園に通い研修をさせてもらいました。

未経験の農業に挑戦するのは大変ではなかったですか?
太田 1年前に退職し、昨年の12月にいちご家族をオープンさせたのですが、農業一本でやっていこうと決めた時は、勘当されるくらい両親に大反対されました。経験もなく畑違いの業種に転身することが心配だったようです。でも、最後は「あなたの人生だから啓詩の家族で決めなさい」と言われて準備を始めました。社名にはそんな家族への想いも込めています。ビジネスとして成り立つか厳しいことも理解していましたが、勉強と同じく簡単な仕事はありません。挑戦する価値があると思いましたし、決断してからは前進あるのみで、大変だとはあまり考えず、ただただ夢中でした。

作物をいちごに決めたのはどうしてですか?
太田 土地の広さや気候を考慮し、農業未経験の私でも勝算があるものを選びました。農業において経験や勘はとても重要なものですが、それに加えて、作物の生育に必要な酸素や水の量など、化学的に分析できるものなら、自分にも美味しいものが作れる可能性があるのではないかと思ったんです。前職もですが、やるからには何事も極めたいと思い、品種もとちおとめ1種類に絞っています。子育てや料理と同じように条件や素材が同じでも、やり方次第でその魅力を引き出せると思ったからです。

いちご家族では完熟いちごの販売を専門に行っているんですよね。 
太田 実際に作ってみて、美味しい物を食べて、喜んでもらうのが生産者としての基本だなと思いました。ビジネス的に考えれば、少しくらい味が劣っても安定供給することも大事です。でも、私は美味しい物を分かち合うように、人と人との繋がりが生まれて欲しい。人も物も豊かになるための大切なツールとして、いちご家族のいちごが広まってくれたら良いなと考えているので、完熟いちごにこだわり販売しています。また、いちごは収穫期間が長く、半年の間で味も変化します。他の果物にはない独特の魅力も伝えていければなと思っています。

前職と比べてみて今のお仕事はいかがですか?
太田 思っていたよりも頭を使う仕事だなと思いました。生き物を相手にしますし、水を与える量や作業の段取りなど全て逆算しなければ良いものは作れない。経営面では箱のデザインなど、マーケティングの知識も必要になります。研修でも感じましたが、現在農業の分野で活躍されている方は勉強熱心でバイタリティ溢れる方ばかりです。その点は前職にも共通していて、そんな先輩方に追いつけるように自分なりのやり方を模索しているところです。

いちご家族のデザインはお子さんが書かれたものだそうですね。
太田 息子が2歳くらいの時に書いたいちごの絵をベースにしました。震災後に福島に戻り妻と結婚、父親になると息子に対して何ができるかも考えるようになりました。東京のマンションに住んだとして、お受験をさせても自分に経験がないから説得力がない。両親のもと、この地で培われた自分を振り返った時に、家族や周りの自然環境の豊かさを実感し、守り伝えていくことができる場所として誕生したのがいちご家族です。息子が大きくなった時にどんな決断をするかはわかりませんが、自分が実体験を通して良いと思えるものを息子にも感じてもらいたいです。

ご家族と一緒に。


気温や湿度、空気中の二酸化炭素の量なども数値化しパソコンで管理。一目でわかるようにすることで作業効率も上げられるそう。


息子さんの絵を基にしたいちご家族のロゴ


お名前
太田(おおた)さん
座右の銘
為せば成る

※この記事はaruku2021年2月号に掲載したものです。内容は取材時のものです。

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