理想の地域医療とは?元医系技官・星 北斗さんにインタビュー!|プロフェッショナル夢名鑑 

国の中枢から医療分野の政策に関わる医系技官として、現在は星総合病院の理事長として災害医療や地域医療などに取り組んでいる星さんにお話を伺いました。

まず、星さんが医学の道を目指したきっかけを教えてください。
星 祖父の代から家が病院で、両親も医者、また兄弟も医学の分野に進んだこともあって自分も自然と医学部のある大学に進みました。ですが、入学当初は本気で医師になりたいわけではなく、跡を継ぐという気持ちもなかったんです。だから学生生活は友人達とフォークバンドを組んだりアメフトに挑戦したり、授業そっちのけで過ごしていましたね。でも、途中から「こんな自分が医学部に居て良いのか?」と不安を感じるようになり、さらに1年の終わり頃に原因不明の病気に、それが治癒したら今度はアメフトで首を捻挫したりと不運が続いてしまったんです。不真面目な生活をして罰が当たったんだ…と思いましたが、でもそれが自分自身を見つめ直す良いきっかけになりました。「人に選ばれるような、価値のある人間になろう」と改心し、医学生として勉強にも積極的に取り組みました。

大学卒業後、病院の医師ではなく、なぜ医系技官の道を選んだのですか?
星 5、6年生の時にOBの紹介で医系技官の方と話す機会がありました。厚生省(現・厚生労働省)で日本の医療全体の制度に関わる仕事の話を聞いているうちに、直接患者さんを診る白衣を着た医者とは違う姿にとても興味を持ちました。私自身、医者として夜中でも忙しく働く両親の姿を見てきましたし、大人になると見えてくる医療業界のマイナス面…例えば人材や設備投資より儲けを優先しなければならない病院が増えて、懸命に医療に向き合っている病院がいずれ無くなってしまう、そんな医療環境への危機感も少なからず持っていたので、次第に「行政の中から医療制度を変えていきたい!」という思いが沸き上がり、厚生省の医系技官として入省した次第です。

医系技官としてどんなお仕事をされてきましたか?
星 私が入省していたのは89~98年の約9年間。その頃はバブル崩壊が起きて、少子高齢化や年金問題、そして阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件など、今までにない出来事や社会問題が起こり、世の中全体が不安な時代でした。私はその間、まず秋田県の保健福祉部で技術吏員(りいん)として仕事をし、その後厚生省や労働省でアスベスト問題や、発がん性を持つ化学物質の管理やMSDS(※1)の義務化、雇用や労働災害に関する保障制度、放射線治療の診療報酬の改革、今では当たり前となったインフォームドコンセント(※2)など、様々な政策に取り組みました。

(※1)化学物質に係る有害性等の情報を提供先に通知する文書。
(※2)病状や治療について、医師と患者との十分な情報を得た上での合意を意味する概念。

医系技官のお仕事は多岐に渡るのですね。
星 事務職の仕事をするときもあれば、係長クラスになると国会答弁の原案を作ったりもします。厚労省だけではなく医療分野に関わる防衛省や環境省、文部科学省などの各省や、世界保健機関(WHO)などの国際機関で勤務するケースもあります。また医系技官と並んで、薬剤師なら薬系技官、獣医師なら獣医系技官、看護師や保健師なら看護系技官など、厚生労働分野には様々な専門技官がおり、各省庁で活躍しています。

医系技官の仕事で、印象に残っていることはありますか?
星 1995年に起きた阪神・淡路大震災で、初めて『災害医療』の体制が必要とされたことですね。これまでの日本の医療は平時には強いのですが、あのような大災害が起きた時の体制はほとんど敷かれておらず、国からの救援も十分行き届かなかった。実際に私が現場に赴いた際、現場の医師たちは混乱した状態でも懸命に治療に当たっていたのに、永田町に戻るとがっかりするくらい役人や議員の方たちの意識の違いや温度差を大きく感じたのです。だから「このような非常時に打ち出せる医療を本気で作らねばならない」と強く思うようになりましたね。

災害医療は東日本大震災や昨今の新型コロナウイルス対策でも課題となっていますね。
星 災害と言っても状況が様々なので、どんな場合にも対応できるような盤石な医療体制というのはこれからの課題ですね。昨今はコロナ対策を通して、検査機関・医療機関の連携強化や、大規模災害に対応できる体制の整備などに取り組んでいますが、これを福島県全体に広がるよう、働きかけねばなりません。

業院の看護師と打合せ中の星さん。「連携プレーで患者さんの治療に当たっている、病院スタッフのみんなには日々感謝しています」。


ほかに印象に残っていることはありますか?
星 アメリカのハーバード大学に客員研究員として1年間留学したことも私にとってターニングポイントでした。アメリカの専門性を極める設備や体制が整っていることは本当に驚きましたし、他にもアフリカや中東からの留学生たちと交流ができたこと、アメリカで活躍する日本人医師たちと会えたこと、時にはアジア人ということで人種差別を受けたこと…。日本ではできない様々な経験を通して、将来の日本の医療体制や、また自分自身が目指すべき道を濃密に考えることができたんです。留学を終えた後、地方から医療を変えていこうと厚生省を辞め、地元の郡山に戻って病院を継ぎました。
 
現在は星総合病院の理事長として、地域医療に取り組まれていますね。
星 地域医療の課題は本当に様々あり、特に過疎地域の医師不足、看護師不足の問題は皆さんもよく耳にしていると思います。ですが、腕の良い医者を派遣するだけでは解決になりません。その地域、地域で特性が違うため根付くのが難しく、医者が辞めればまた振出しに戻ってしまう。理想の地域医療とは、「地域全員で面倒をみること」であると思います。つまり周辺地域にある総合病院や個人病院、介護施設などが連携して、医療のスキマを埋めて行くようなサポート体制が整っていること。それは患者さんの家族も同じで、在宅ケアや保険の申請などが必要な時に、どうしていいかわからないということが無いよう、事前のサポートやアドバイスで自身の役割を見出せられたらなお良いですよね。そのためには地元の医療が根付くような環境づくりも大切。人材育成はもちろん、地域住民の方達にも地域をもっと好きになって、助け合いの気持ちを持ってもらうことも大事だと考えます。

撮影中はこんなお茶目な一面をのぞかせる一コマも。


病院では保育所の他、学童保育やフリースクール等を兼ねた「大町キッズベース」など子どものための交流施設がありますが、それもその一環ですか?
星 私たちの病院の取り組みとしては、やはりこれからの地域の未来を担う子どもの育成が大事だと思っています。病院では新しい試みとして、地域の子どもから大人、高齢者も一緒になって料理やモノづくりなど学びや体験ができる「ほしくまわくわくベース」を新設しました。健康や保育のサポートだけではなく、様々な人たちと触れ合いながら地域社会や土地の文化、食を学んで、自分の地域と好きになってもらうことが目的です。子どもたちが将来、地域社会の一人として自信をもって役割を担っていけるように。

保育所や交流施設のイベント時などには、積極的に参加して子どもたちとふれあうことが楽しみと語ってくれました。


これから医療関係の道に進みたい若者へのメッセージをお願いします。
星 厳しい事を言うようですが、免許やお金、将来の安定性を求めるなら選ばないほうが良いと思います。今はよく医師不足、看護師不足と言われていますが、長い目で見ると日本の人口は減少し、医療従事者が飽和状態になると言われています。しかし医療分野は日進月歩の世界。自分が本気で医療の分野で社会の役に立ちたい、努力し続けたい、そんな熱意と覚悟がある若者はどんどん目指してほしいと思います。そして、それは医療分野に限らずどんな仕事でも同じです。私は現場で直接患者さんを診ることはありませんが、医系技官というまた違う立場から日本の医療体制を広く見られたことで、自分自身の進む道を見つけることができました。皆さんも様々な経験を積んで、世の中を広く見てください。そうすれば自分の進むべき道が自然と見えてくるはずですから。

お名前
元医系技官・福島県医師会副会長・星総合病院理事長 星 北斗(ほし ほくと)さん
出身地
福島県郡山市
学歴
東邦大学医学部
休日の過ごし方
ウクレレの練習や、趣味の料理。シーズンになると自転車やスキーなどアクティビティにも出かけるそう。

※この記事はaruku2022年5月号に掲載したものです。内容は取材時のものです。

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