プロ野球選手(前編)|プロフェッショナル夢名鑑  

プロ野球独立リーグ・BCリーグへ参戦する福島ホープス。県内初のプロ野球チームの誕生を記念して、前編・後編に渡って選手兼任監督の岩村明憲さんにお話を伺います。
前編では岩村監督の子ども時代や影響を受けた人など、プロに入る前のお話にスポットをあてました。

プロを目指したのは、野球を始めた瞬間(とき)からでした

ホープスの選手もそろって岩村監督を熱い人だと言うくらい、インタビュー中も野球への情熱に満ち溢れていました。

岩村監督は小さい頃、どのような子どもだったのですか?

岩村  野球バカ、と言うくらいのやんちゃな野球少年でしたね。実際は野球ではなくソフトボールから入ったんですが。野球好きの父親とソフトボールをやっていた3歳上の兄の影響で、小学2年生から私もソフトボールのチームに入ったんです。それからほぼ毎日休みなく練習をしていました。学習塾にも通っていたのですが、家でも空いた時間を見つけては自主練ばかりしていましたね。練習が早めに終わった日は母の経営していた美容室の駐車場で2時間壁打ちし、10分休憩してまた2時間練習・・・。そんな練習を毎日していたせいで壁にヒビが入ってしまったくらいです。

そんなに毎日熱中して練習をしていたのですね。

岩村  そうですね。私は早生まれだったせいか同級生に体格も体力も追いつくのが大変だったんですよ。でも、その分誰にも負けたくない気持ちが強かったんですね。もちろん兄にも。ですから、追いつけ追い越せの気持ちで練習に励んでいました。

プロ野球選手になろうと思ったのはいつごろからですか?

岩村  最初に野球を始めたときから、ずっとプロ野球選手を目指していました。中学・高校でも野球部に入り、ひたすら野球漬けの日々を送っていましたね。その夢が実現したのは、高校で硬式野球部に入り上甲正典(じょうこうまさのり)監督(※1)と出会ったことが大きいですね。

上甲監督と出会い、どのようなことを教わったのですか?

岩村  上甲監督には高校の3年間で特に礼儀などの精神面を徹底的に鍛えられました。もちろん、技術面でも日々ハードな練習でしたよ。毎日「辞める」と言っていたくらいキツかったですね。今、もう一度あの3年間をやれと言われてももう絶対無理です。でもその3年間で、野球の技術だけでなく人間性も成長できたのは監督のおかげだといえます。それに、自分の先輩が何人もプロになっていくのを見て、自分も上甲監督の下で頑張ればプロになれるのでは、と思い練習に励みました。今は、上甲監督の下で野球をできて良かったと心から思っています。

※1 上甲正則監督…愛媛県立宇和島東高校や、済美高校の野球部監督として数々の教え子をプロ野球選手に育てた指導者。

交流会にて、ファンの前では初めて福島ホープスへの思いを語りました。

高校時代は岩村監督にとって精神的に大きく成長した3年間だったのですね。

岩村  はい。本当に私は野球人生の中でも人に恵まれたと思っています。上甲監督との出会いはもちろん、プロ入り後に出会った中西太(なかにしふとし)さん(※2)の存在も大きいですね。中西さんは私の野球の師でもあります。プロ時代からの私の座右の銘「何苦楚魂(なにくそだましい)」も、レギュラーに定着する前のキャンプで中西さんから教わった言葉なんですよ。

※2 中西 太さん…元プロ野球選手。引退後はコーチとして多くの球団の打者を指導した。岩村監督がヤクルト入団時、チームアドバイザーとして指導にあたっていた。

「何苦楚魂(なにくそだましい)」とはどのような意味があるのですか?

岩村  「何苦楚」というのは「何事も苦しむことが礎(いしずえ)となり、どんな事があっても新しい日が来る」という意味の「何苦楚日々新也(なにくそひびあらたなり)」が本来の言葉です。初めは「なにくそ!」と強い反骨心を持つことだと思っていたんですよ。でもその言葉がすごく印象に残って、反骨心を持って何苦楚の精神を大事にしようと思い「何苦楚魂」を座右の銘にしました。福島ホープスでも何苦楚精神を持って日々練習に励むように、私からチームスローガンにしてほしいと提案したんですよ。

これから開幕に向けて、岩村監督もチームも本格的に練習が始まりますが、今プロ野球選手を目指して練習に励んでいる子どもたちにアドバイスをいただけますか?

岩村  大事なのは、たくさんご飯を食べること。私はよく小学4~5年生くらいの子にはいつも「丼飯を2~3杯食べろよ」と言っています。たくさん食べて、身体をつくり・体力をつけること。小さい頃から硬式ボールに触れるよりずっと大切なことですよ。私のようにスタートはソフトボールでもプロ野球選手になれるんです。だから、焦る必要はないと思いますね。あとは、この人だと信じられる指導者に出会えればなお良いと思います。でもやはり一番大事なことは「野球がしたい!」という自分の気持ちです。楽しくなければ長続きはしませんから。もっともっと野球を好きになって、たくさん楽しんでくださいね。

今から開幕が楽しみですね。次回後編では、プロ野球選手になってからの岩村監督にスポットをあて、メジャーリーグへ挑戦した際のお話や福島ホープスへの意気込みについても詳しく伺います。

後編はこちら

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【経歴】
ヤクルトスワローズ(現 東京ヤクルトスワローズ) (1997-2006)
タンパベイ・デビルレイズ(現 タンパベイ・レイズ) (2007-2009)
ピッツバーグ・パイレーツ(2010)
オークランド・アスレチックス(2010)
東北楽天ゴールデンイーグルス(2011-2012)
東京ヤクルトスワローズ(2013-2014)
福島ホープス(2015- )

お名前
岩村 明憲(いわむら あきのり)さん
役職
福島ホープス 選手兼任監督
出身地
愛媛県宇和島市
出身校
愛媛県立宇和島東高等学校
お休みの日の過ごし方
休日は趣味のゴルフや釣りを楽しむことが多い岩村監督。オンとオフの切り替えをはっきりさせるため、家には野球道具を置かず野球関連のテレビも一切見ないそう。

※この記事はaruku2015年3月号に掲載したものです。内容は取材時のものです。

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